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豐中常文庫 ── 解説

外宮の御酒殿の神
── お伊勢参りに、もうひとつの立ち寄り所を

お伊勢参りに行くと、たいていは正宮にお参りして帰ります。けれど外宮の神域の奥まったところに、お酒の神さまがお鎮まりであることは、あまり知られていません。手を合わせる人も多くありません。次に伊勢を訪ねるとき、立ち寄り所がひとつ増える ── そんな一篇です。あわせて、そもそもなぜ神さまにお酒を捧げるのか、その始まりもたどってみます。

外宮に、お酒の神さまがいらっしゃる

外宮には御酒殿(みさかどの)があり、その神さまがお祀りされています。私は、三本目の御神酒『中常乃金神』を醸すことが決まったとき、朔日(ついたち)参りでこの神さまに御奉告に参りました。当時のブログから引きます。

みなさまは、外宮の酒殿の神をご存知でしょうか。……独りで外宮の酒殿の神に参り、イセヒカリ御神酒『中常乃金神』を醸します旨、御奉告しました。奥まっている事もあり、ここには滅多に手を合わせる方もありません。── 山田白魁塾ブログ・二〇二四年十二月二十八日

この御酒殿の神は、江戸時代初めの出口延佳の著作にも述べられ、江戸のお伊勢参りの手引きというべき『伊勢参宮名所図会』にも描かれています。昔の人にとっては、お参りの道筋にちゃんと入っていた神さまなのです。

なぜ、神さまにお酒を捧げるのか

お酒は、神さまへのお供えの中でも特別な位置にあります。その始まりは、私が所蔵する『倭姫命世記』の一段にはっきりと記されています。真名鶴(まなづる)がくわえてきた稲穂を神の御前に懸け奉ったこと ── これが懸税(かけちから)の起源です。そして、

その穂を大幡主(おおはたぬし)の女子(むすめ)・乙姫に清酒(すみざけ)を作らしめ、御饌(みけ)を奉る── 『倭姫命世記』二十五頁(所蔵・出口延佳校合 寛文九年書写本より)

神さまに納めた稲穂から酒を醸し、それをまた神さまにお供えする。稲と酒は、はじめから一続きのものとして語られています。田で育てた米が、人の手で酒になり、神さまの御前に戻る ── お酒を捧げるという行いは、その循環のいちばん先にあるのです。外宮に御酒殿があるのは、この循環がこの地で今も続いているからです。

千二百年前から、拝まれてきた神さま

御酒殿を拝むのは、今に始まったことではありません。延暦二十三年(八〇四)、外宮が朝廷へ差し出した公式の報告書『止由氣宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう)』に、一年の始めの作法がこう記されています。

朔日(ついたち)の卯の時を以て、祢宜(ねぎ)・内人(うちんど)・物忌(ものいみ)等 皆悉(ことごと)く参り集ひて、神宮を拝み奉る〔南御門の外に向かふ〕。次に高宮を拝み奉る〔南に向ひて遥拝す〕。次に御酒殿を拝み奉る。然して即ち白散(びゃくさん)の御酒を供へ奉る── 『止由氣宮儀式帳』(延暦二十三年・八〇四)『群書類従』所収本より 中常塾 塾主 松浦茂樹 確認

正月一日の夜明け、外宮の神職たちは、正宮・高宮に続いて御酒殿を拝み、お屠蘇の類である白散のお酒をお供えしていました。一年の始まりの拝礼に、お酒の神さまがちゃんと入っているのです。

同じ報告書には、御神酒のための田と、その稲を酒に醸す役の人がいたことも記されています。

根倉物忌 ……年別に春の始めより忌み敬ひて、根倉の御刀代(みとしろ)の御田を佃(つく)り奉りて、其の御田の稲を神酒(みき)に造り奉りて、神嘗祭に二所太神の湯貴(ゆき)の大御饌(おおみけ)〔以下欠〕── 同上。役名「根倉」の読み方は分かっていません

御神酒のためだけの田があり、その田を一年かけて斎(いつ)き育て、稲を酒に醸して、神嘗祭にお供えする ── その役がひとり定められていました。田と酒とお祭りは、千二百年前から一続きだったのです。

そして、この作法は絶えていません。私が講義で用いる『外宮神拝式(げくうしんぱいしき)』(所蔵の写本)にも、御酒殿は拝む所のひとつとして挙げられ、御酒殿〔ミサカトノ〕と読みが添えられています。千二百年前に記された拝礼の道筋を、今の私たちも同じようになぞっているのです。神代は遠い昔ではなく、今日この日の参道の上に在ります。

「すべて分かっています」

その少しあと、『中常乃金神』の銘を世に発表した十二月十六日にも、外宮で不思議なご縁がありました。仲間二人と着いたところ、駐車場で後ろから声をかけられます。羽織を黒紋付に替えたために、袴に羽織が引っかかって乱れていたのを、地元の方が教えてくださったのでした。

今回は御神酒造りの奉告なのだとお伝えすると、さすがは地元の方です、「じゃあこちらを参らねばね」と御酒殿を遥拝出来る地をご案内下さり、みんなで一緒に参拝する事が出来ました。── 山田白魁塾ブログ・二〇二四年十二月二十八日

その日、いつもとは違う時間に外宮へ着いていました。酒蔵にイセヒカリを預けてきた帰りだったからです。声をかけてくださった方は、いつもその時間に参られている地元の方でした。私は、これを「私達が何のために参ったのかは、すべて分かっています」という御神意が示されたご縁だと受けとめています。

神代は遠い昔の話ではなく、今日のこの一日のただ中に在る ── 私がそう申し上げるのは、こういう出来事が積み重なっているからです。

いま、この循環の中に

私は、盟友・梁川和基氏とともに御神米イセヒカリを育て、その稲穂を神嘗祭の懸税として外宮と伊雜宮へ納め、同じイセヒカリから御神酒を醸して全国の神々にお捧げしています。千三百年以上前の文書に記された形を、今の暮らしの中でなぞっているわけです。

次に外宮へお参りになるとき、正宮のあとに、御酒殿の方へも心を向けてみてください。手を合わせる人の少ない神さまの前に立つと、お米とお酒とお祭りが一本につながっていることが、肚に落ちてきます。

伊勢の神々と日々の暮らしをつなぐ小さな一節を、
あなたのもとへお届けします。

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