中常塾に興味を持ってくださった方が、講座の中身より先に知りたいのは、 案外「これは、どんな人が伝えているのか」ということかもしれません。 由緒や肩書をお話しする前に、まずはいくつかの出来事を通じて、 飾らない私自身のことをお伝えします。
息子がまだ小さかった頃、年末に家族で京都へ旅に出ました。 翌朝は、國常立尊をお祀りする出雲大神宮の「國祖祭」に参列しようと決めていました。 せっかくの機会だから、家族揃って参りたい ── そう心に決めていたのです。
ところが出発前夜、家内からこんな提案がありました。
なるほど、と思いました。國祖祭への参列は取り止め、朝は子供がプレゼントで 存分に遊んで満足するまで、のんびり待つことにしました。
すると、そうしてゆっくり過ごしていたその朝のうちに、思いがけず、 京都に伝わる安倍貞任(あべのさだとう)の伝説を知ることになったのです。 貞任は奥州安倍氏の長で、私の父方の遠い祖先にあたります。 予定通り朝から慌ただしく出発していたら、きっと出逢えなかった話でした。
子供のクリスマスを優先しただけのつもりが、結果として、 思わぬかたちで先祖と縁を結ぶ朝になりました。 大きな志を追いかけているつもりでも、目の前の家族を大切にすることの方が、 実はいちばん近道なのかもしれない ── そう教えられた出来事でした。
第63回神宮式年遷宮の「令和の御木曳(おきひき)」では、 120人もの団体をまとめる共同代表として、 外宮の神様へご用材を奉曳する大役をいただきました。
衣装が届き、開封した瞬間は身の引き締まる思いでした。 まさか自分がそんな役目を担うことになるとは、当時は想像もしていませんでした。
正直なところ、準備の日々は決して楽ではありません。 それでも、こうした御役目を与えていただけること自体が、 何にも代えがたいご縁だと感じています。 「大変です」と笑って言えるくらいには、この重みを喜んで背負っていきたいと思っています。
和儀®(わぎ)の稽古には、「笑い」の所作を学ぶ稽古もあります。 能楽・狂言に伝わる、日本人らしい笑い方を身体で稽古するのです。
先日、その稽古の様子を写真に撮っていただいたのですが ── 見事に失敗した瞬間が写っていて、生徒さんたちに大いに笑われてしまいました。 教える立場のはずが、いちばん笑われていたのは私自身、というわけです。
それでも、こういう失敗も含めて、笑いは日本人の大切な立ち居振る舞いだと あらためて実感します。塾主の私も、格好つけてばかりではありません。 稽古場では、みなさんと一緒に、そうやって笑い合っています。
日本人の肚を再発見する場でありたいと願うなら、まず私自身が、 飾らず肚を割ってお伝えする ── それが中常塾の在り方だと思っています。 由緒やルーツの物語をお読みいただく前に、まずはこうして、 等身大の近況からお便りをお届けしました。
はじめての方が抱かれる問いは、たいてい三つに集まります。 どうしてこの塾をやるのか。なぜあなたから学ぶのか。なぜ今なのか。 順に、短く答えておきます。
「肚の据わった日本人として生きたい」という人が集まる場所をつくりたいからです。 2012年の夏、伊勢神宮での奉納を前にした物忌みの四十七日目の夜に、私は一つの文章を書きました。 「世界の中心は、自分の中にある。その中でも、肚に。」 あの夜からの問いを手放さずに来て、分かったことがあります。 肚は、教えられるものではなく、気づくものです。 意味を肚に落とし込みながら、身体から日本人であることを取り戻していく場。それが中常塾です。
島根県出雲市大社町、出雲大社まで歩いて十分の母の実家で生まれました。 父方は奥州安倍氏から出雲族・登美氏へ遡ると、そう教えられています。 神武天皇に敗れた出雲族、朝廷に敗れた奥州安倍氏。勝った側ではなく、負けた側の血を引く者が、神道を探究し続けている ── そこに私は意味を感じています。 2014年から神宮の懸税奉納に連なり、伊雜宮の物産調献式に参列して十年になります。 神職の階位は中教正。2024年に狂言師・茂山千三郎先生より和儀を学び始め、2025年9月に師範の資格をいただきました。 手元には、出口延佳が校合した『倭姫命世記』の書写本があります。 私から届けられるものがあるとすれば、この家の物語と、この書物と、この十年です。
開塾日を2026年5月25日と決めてから、気づいたことがあります。 出口延佳の誕生日は慶長二十年四月二十八日、いまの暦に直すと1615年5月25日。同じ日でした。 翌26日は、私の満五十歳の誕生日です。 そして十年前の2016年5月25日、私は延佳の一節「神道は中を極める道」を、初めてFacebookに公開していました。 書写本が手元にあり、和儀の師範となり、御神酒三部作が完成した ── 揃ったので、今です。 「いつかやろう」の「いつか」が、来てしまいました。
ここまで読んでくださったあなたへ ── 毎朝、神代にふれる一節を「中常だより」でお届けします。
受け取るほどに、日々の真ん中に一本の芯が通っていきます。いつでも、そっと離れられます。
折々のことばと、奉納・お稽古のご案内をお送りします。
お名前は、中常だよりの呼びかけにのみ用います。