神宮の神嘗祭に稲穂を奉る、その稲穂を御神酒に醸す ── その典籍上の根拠は、倭姫命世記25頁に刻まれています。 大幡主の女子・乙姫が清酒を作り、御饌を奉った、あの一段に。 本頁は、その流れを現代に生きた十年の記録です。
この一段は、神宮の食物と酒の起源を伝えています。稲穂を神の御前に懸け奉ること ── それが懸税(かけちから)奉納の根拠であり、 その穂から清酒を醸して奉ること ── それが御神酒奉納の根拠です。
中常塾の奉納事業はこの二本立てで成り立っています。 神嘗祭の外宮初穗曳き・伊雜宮物産調献式でイセヒカリの懸税を奉り、 その同じイセヒカリを御神酒に醸して全国の神々に捧げます。 典籍に記された乙姫の行為が、1300年以上の時を超えて今に甦っているのです。
御神酒は三部作として醸されました。 『國靈(くにたま)』から始まり、 『みはしら』を経て、 集大成の『中常乃金神(なかとこのこんじん)』へ。 それぞれに固有の祈りと物語があり、それぞれが次へと連なる流れをなしています。
中常塾へと連なる物語が大きく動き出したのは、二〇一三年でした。 この年、伊勢の神宮は二十年に一度の第六十二回式年遷宮を迎え、 神々が新たなお宮へとお遷りになります。 塾主もまた、この大いなる節目の年に、自らの歩みが動き出すのを感じていました。
その二日後、新たに建て替えられた外宮で御垣内参拝が始まる初日。 塾主は、その記念すべき初日に最初に参拝する一人となることに、強くこだわりました。 日本でもっとも大切なお宮が新たに始まろうとするその時、たとえ洋装もまた正装であるとはいえ、 和装の紋付袴に身を包んだ日本人が、まずそこに立たねばならない ── そうした使命感にも近い思いがあったからです。
こうして塾主は家族とともに、和装の正装で、日の出とともに新宮への最初の参拝を捧げました。 遷宮を終えたばかりの清々しいお宮に、新しい未来への一歩を重ねたのです。
── そして同じ年の晩秋、塾主は伊勢の神山・朝熊山で、ひとつの祭祀に臨むことになります。
物語の始まりは、満月の夜の聖地における一つの祭祀でした。 古典に記された「遠き常世の響きが波のように届く理想の地」としての伊勢 ── 古代には山頂の聖地で満月の夜に常世の神々を迎える祭祀が行われていたといいます。 その流れに倣い、塾主は同様の儀式を試みました。
その祭祀が行われたのは、11月18日。 息子の七五三の御奉告のためにたまたま伊勢を訪れた日で、日付はまったく意識していませんでした。 折しもその夜が満月であったことから、夜明け前から日の出にかけて、 北には北極星(太一)と北斗七星を、西には沈む満月(太陰)を、 東には昇る朝日(太陽)を ── 三柱の星、三柱の神をお祀りしたのです。
この度會春彦神主こそ、菅原道真公の師をつとめ、白太夫として今も語り継がれる人物であり、 度會神道を学ぶ場であった度會氏の氏神・世木神社の御祭神でもあります。 御神酒三部作の出発点となった一つの祭祀が、奇しくも、千年の時を超えて度會氏の祖の祈りと 同じ日・同じ神々に重なっていた ── のちに度會神道を世に伝える歩みへとつながる、不思議な一日でした。
あの祭祀から三日後、祭祀後に疲れ果てた塾主が迎えをお願いした伊勢の神話語り・人力車曳きの祥平氏から夜明け前に知らせが届きました。 「夢に松浦さんが出てきました。あなたを玉置神社へお連れすることが役割みたいです」。 玉置神社の御祭神は國常立太神。 常世の神・國常立太神をお迎えした祭のすぐ後に、その御社へ召し出されたのです。
向かった日は12月12日 ── 「二十(ふと=太)」が逆さまに秘められた日。 「太」のつく神として、隠れ神・國常立「太」神の御社へ向かうにふさわしい日だと感じました。 熊野・那智・玉置の旅の中で、勾玉を授かり、 「伊雑(イザワ)皇大神」の名が書かれた名刺と偶然出会い、 やがて伊雜宮との霊的な縁が重なっていきました。
2014年、塾主たちはイセヒカリの稲作に関わり始めました。 イセヒカリは平成元年、伊勢神宮の神田に台風で倒れなかった2本の突然変異の稲穂から生まれた稲。 「平成の斎庭の穗の神勅」 ── 天照太御神がニニギノミコトに高天原の稲穂を授けた神話の再現として、 平成の御世の始まりに今上陛下へ授けられた神聖な米です。
そのイセヒカリを天照大神を祀る神社に面した「神田」で育て、 2015年、初の御神酒『國靈』が醸されました。 ラベルの題字には、坂東未來社長から授かった藍墨「心御柱」を御神筆として用いました。 出雲大社のかつての柱に見立てた、世界で9本しかない特別な藍墨 ── その最初の1本を「6ヶ月後に使うように」と告げられて受け取っていたものが、 ちょうど6ヶ月後にあたるこの時に用いられたのです。 「始まりの日は、はるか昔に決められていた」という確信が、この御神酒の底に宿っています。
御神酒『國靈』の奉納を呼びかけた趣意は、「奉納文化社会」という概念でした。 自らの最高の仕事を神に捧げることで社会の豊かさが生まれる ── 参加方法は三通り、地元神社への個人奉納・合同奉納・支援の一口。 共感した仲間たちとともに、日本の全地方の神社への奉納が実現しました。
奉納の旅は、白山・全国神社群へと広がっていきました。 奉納の集大成として白山登拝が行われ、山頂で祭儀が執り行われました。 「神に捧げるものはまず最高のものを」という信念のもと、 苦難と非凡な体験を経た登拝の翌朝、澄んだ日の出を迎えました。
酉歳(2017年)の一年をかけて祭祀し育てたイセヒカリより、 純米大吟醸御神酒『みはしら』は醸されました。 醸造はほうらいせん吟醸工房(豊田市黒田町・加茂の地)。 協力は浪漫酒創庫あつみ(渡会社長) ── 杜氏は子供の頃から渡会社長に縁ある方で、 仕上がりは「格別の出来」と評されました。
稲作から醸造まで、すべてを共に成してきたのが梁川和基氏です。 この御神酒の物語は、二人の共同事業として刻まれています。
『みはしら』の奉納は、平泉寺白山神社から始まりました。 1メートルを超える雪の中を参拝し、通常は入ることのできない神殿の間に上げていただき、 お祓いの上で奉納という異例の対応を賜りました。 地域住民の儀式が終わった直後のタイミングでした。
先代・平泉澄博士の遺品と著作が紹介され、その遺志を継ぐ決意を新たにいたしました。 宮司の奥様が装束姿で対応し、記念撮影も行われました。 北の白山へのこの奉納初めは、山田白魁塾の「白」と「魁」の連環でもありました。
イセヒカリ御神酒の三部作が最後に辿り着いた銘は、中常塾そのものの名の由来でした。 江戸時代の伊勢外宮権禰宜・出口延佳(1615-1690)は、弟子への講義でこう語っています。
この教えを銘とした御神酒『中常乃金神』は、 米から醸す御神酒が「稲穂の黄金のエネルギーを凝縮した」ものであること、 そしてそのエネルギーが日本の国土を黄金に輝かせ続けるという祈りを内包しています。
2025年2月、四日市の伊藤酒造にて醸造が行われました。 塾主は齋主として、度會神道の根本テキスト 『中臣祓瑞穗鈔』を奏上いたしました。
販売は酒類販売業免許を取得した梁川氏のサルヴァトーレが担い、 御神酒の利益は製造費等の経費を差し引いた全額を伊勢の神宮へ寄付いたしました。 御神酒は「商品」ではなく「奉納の流れの一部」 ── 三河から伊勢へ流れてきた懸税奉納の文化と同じく、 この御神酒もまた奉りの形をとっています。
三部作が完結した2025年の翌年、2026年5月31日 ── 次の式年遷宮のための外宮への御木曳きに、 『中常乃金神』奉納の縁で繋がった関係者が参加しました。
御神酒を奉納する ── その奉納を縁として繋がった仲間が、 今度は遷宮の用材を曳く奉仕へと向かいました。 「奉納 → 遷宮への奉仕」という流れが、ここに完結したのです。
2026年5月25日、中常塾が正式に開塾いたしました。 岡崎城二の丸能舞台にて、度會神道の講義と和儀の稽古が始まっています。 御神酒三部作が積み上げた十年の奉納は、塾主の言葉に重みを与え、 中常塾の物語の根幹を成しています。
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