神宮の神嘗祭に稲穂を奉る、その稲穂を御神酒に醸す ──
その典籍上の根拠は、倭姫命世記25頁に刻まれている。
大幡主の女子・乙姫が清酒を作り、御饌を奉った、あの一段に。
本頁は、その流れを現代に生きた十年の記録である。
この一段は、神宮の食物と酒の起源を伝える。稲穂を神の御前に懸け奉ること ── それが懸税(かけちから)奉納の根拠であり、 その穂から清酒を醸して奉ること ── それが御神酒奉納の根拠である。
中常塾の奉納事業はこの二本立てで成り立っている。 神嘗祭の外宮初穗曳き・伊雜宮物産調献式でイセヒカリの懸税を奉り、 その同じイセヒカリを御神酒に醸して全国の神々に捧げる。 典籍に記された乙姫の行為が、1300年以上の時を超えて今に甦っている。
御神酒は三部作として醸された。 『國靈(くにたま)』から始まり、 『みはしら』を経て、 集大成の『中常乃金神(なかとこのこんじん)』へ。 それぞれに固有の祈りと物語があり、それぞれが次へと連なる流れをなしている。
物語の始まりは、満月の夜の聖地における一つの祭祀だった。 古典に記された「遠き常世の響きが波のように届く理想の地」としての伊勢 ── 古代には山頂の聖地で満月の夜に常世の神々を迎える祭祀が行われていたという。 その流れに倣い、塾主は同様の儀式を試みた。
祭の三日後、伊勢の神話語り・人力車曳きの祥平氏から夜明け前に知らせが届いた。 「夢に松浦さんが出てきました。あなたを玉置神社へお連れすることが役割みたいです」。 玉置神社の御祭神は國常立太神。 常世の神・國常立太神をお迎えした祭のすぐ後に、その御社へ召し出されたのである。
向かった日は12月12日 ── 「二十(ふと=太)」が逆さまに秘められた日。 「太」のつく神として、隠れ神・國常立「太」神の御社へ向かうにふさわしい日だと感じた。 熊野・那智・玉置の旅の中で、勾玉を授かり、 「伊雑(イザワ)皇大神」の名が書かれた名刺と偶然出会い、 やがて伊雜宮との霊的な縁が重なっていった。
2014年、塾主たちはイセヒカリの稲作に関わり始めた。 イセヒカリは平成元年、伊勢神宮の神田に台風で倒れなかった2本の突然変異の稲穂から生まれた稲。 「平成の斎庭の穗の神勅」 ── 天照太御神がニニギノミコトに高天原の稲穂を授けた神話の再現として、 平成の御世の始まりに今上陛下へ授けられた神聖な米である。
そのイセヒカリを天照大神を祀る神社に面した「神田」で育て、 2015年、初の御神酒『國靈』が醸された。 ラベルの題字には、坂東未來社長から授かった藍墨「心御柱」を御神筆として用いた。 出雲大社のかつての柱に見立てた、世界で9本しかない特別な藍墨 ── その最初の1本を「6ヶ月後に使うように」と告げられて受け取っていたものが、 ちょうど6ヶ月後にあたるこの時に用いられた。 「始まりの日は、はるか昔に決められていた」という確信が、この御神酒の底に宿っている。
御神酒『國靈』の奉納を呼びかけた趣意は、「奉納文化社会」という概念だった。 自らの最高の仕事を神に捧げることで社会の豊かさが生まれる ── 参加方法は三通り、地元神社への個人奉納・合同奉納・支援の一口。 共感した仲間たちとともに、日本の全地方の神社への奉納が実現した。
奉納の旅は、白山・全国神社群へと広がっていった。 奉納の集大成として白山登拝が行われ、山頂で祭儀が執り行われた。 「神に捧げるものはまず最高のものを」という信念のもと、 苦難と非凡な体験を経た登拝の翌朝、澄んだ日の出を迎えた。
酉歳(2017年)の一年をかけて祭祀し育てたイセヒカリより、 純米大吟醸御神酒『みはしら』は醸された。 醸造はほうらいせん吟醸工房(豊田市黒田町・加茂の地)。 協力は浪漫酒創庫あつみ(渡会社長) ── 杜氏は子供の頃から渡会社長に縁ある方で、 仕上がりは「格別の出来」と評された。
稲作から醸造まで、すべてを共に成してきたのが梁川和基氏である。 この御神酒の物語は、二人の共同事業として刻まれている。
『みはしら』の奉納は、平泉寺白山神社から始まった。 1メートルを超える雪の中を参拝し、通常は入ることのできない神殿の間に上げていただき、 お祓いの上で奉納という異例の対応を賜った。 地域住民の儀式が終わった直後のタイミングだった。
先代・平泉澄博士の遺品と著作が紹介され、その遺志を継ぐ決意を新たにした。 宮司の妻が装束姿で対応し、記念撮影も行われた。 北の白山へのこの奉納初めは、山田白魁塾の「白」と「魁」の連環でもあった。
イセヒカリ御神酒の三部作が最後に辿り着いた銘は、中常塾そのものの名の由来だった。 江戸時代の伊勢外宮権禰宜・出口延佳(1615-1690)は、弟子への講義でこう語った。
この教えを銘とした御神酒『中常乃金神』は、 米から醸す御神酒が「稲穂の黄金のエネルギーを凝縮した」ものであること、 そしてそのエネルギーが日本の国土を黄金に輝かせ続けるという祈りを内包している。
2025年2月、四日市の伊藤酒造にて醸造が行われた。 塾主は齋主として、度會神道の根本テキスト 『中臣祓瑞穗鈔』を奏上した。
御神酒の利益は製造費等の経費を差し引いた全額を伊勢神宮へ寄付する。 販売はサルヴァトーレ(梁川氏)が担う。 御神酒は「商品」ではなく「奉納の流れの一部」 ── 三河から伊勢へ流れてきた懸税奉納の文化と同じく、 この御神酒もまた奉りの形をとる。
三部作が完結した2025年の翌年、2026年5月31日 ── 次の式年遷宮のための外宮への御木曳きに、 『中常乃金神』奉納の縁で繋がった関係者が参加した。
御神酒を奉納する。その奉納を縁として繋がった仲間が、 今度は遷宮の用材を曳く奉仕へと向かう。 「奉納 → 遷宮への奉仕」という流れが、ここに完結した。
2026年5月25日、中常塾が正式に開塾した。 岡崎城二の丸能舞台にて、度會神道の講義と和儀の稽古が始まった。 御神酒三部作が積み上げた十年の奉納は、塾主の言葉に重みを与え、 中常塾の物語の根幹を成している。