何を、どこまで調べたか
江戸中期の学者・井沢蟠竜がこの説を正面から否定した経緯。この説を書いた系図の写本二本の本文。安倍を名乗る家々と松浦の家々の家紋。そして九州・宗像大島に今も残る、宗任の墓。── たどれるかぎりをたどりました。詳しくは補注に譲り、行き着いた先を三つだけ、ここに書いておきます。
- 宗任が九州へ流されたこと自体は、伝説ではありませんでした。朝廷側の記録が、年も場所も、移された理由までも伝えています。記録の外にあるのは「そこから松浦の祖になった」という一段だけです。
- 系図の写本が書いていたのは、血ではなく「養い」でした。産みの母の名を書くべき場所に「阿倍宗任の妻、之を養ふ」と書く ── 誰が育てたかを書き残す記事です。だとすれば、松浦党の本流が嵯峨源氏であることと、宗任に繋がる伝えとは、衝突しません。
- それでも、鎌倉以前に「松浦は安倍宗任の裔」と書いた文書は、一つも出てきませんでした。探し方の足りないところが残っていないか、遡れる祖本まで、相手方の系図まで開いて確かめた上で、です。
「出てこなかった」ことも、家の財産です
調べものは、見つかったものだけが成果ではないようです。どこを探して、何が出てこなかったか ── それが分かっていることは、見つかった証文と同じくらい確かな、家の持ち物になります。補注には、都合の悪い検証の結果も、読みを決め切れなかった一字のことも、そのまま書きました。三百年前にこの説を斬った井沢蟠竜その人が、系図の由緒書きについて、こう書き残しています。
子孫たるもの、ただ明らかに知れたる限りを慎みて記して子孫に遺すべき事、是れ孝子の所爲なり。
── 井沢蟠竜『広益俗説弁』(享保十二年)
明らかに知れたことだけを、慎んで記して子孫に遺す。補注は、この作法で書きました。
九百年ののちの今日も、花が絶えていません。
証が無いことは、値打ちが無いことではありません
数百年のあいだ、誰かがこの話を語り継ぐことを選び続けました。証が無いと知ってなお、名を呼び、墓に花を供え、書き継ぐ ── その営みが続いているかぎり、物語は過去のものではなく、いまここに生きています。神代そのまま今に在る、と私たちが申し上げるのは、そういう意味です。
もしあなたのお家にも、証の立たない言い伝えがおありでしたら ──
どうぞ捨てずに、知れたことと知れなかったこととを分けて、書き留めてみてください。
家の話を日本地図に置いてたどる手引きも、ご用意しています。