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豐中常文庫 ── 一節ずつの階段

「中極の道」
── 神道をひと言で言うと何か、延佳の答え

神社にはよく足を運ぶのに、「神道って何ですか」と聞かれると言葉に詰まる──そんな方へ。この記事を読み終えるころには、その問いに返す一句が一つ、あなたの口の中にあります。
しかも、自分の言葉に言い直し、声に出して読める形で。
古文の知識はいりません。要るのは十分の時間と、声を出せる場所だけです。

能舞台での和儀稽古
能舞台での和儀稽古

江戸前期、伊勢の外宮(げくう)に仕えた神職に、出口延佳(でぐちのぶよし)という人がいます。その著書『中臣祓瑞穂鈔(なかとみのはらえみずほしょう)』に、神道をひと言で言い切った一節があります。

抑(そもそも)、中極(なかつきはみ)の道を神道(かむながらのみち)と云ふ。

意訳すれば「そもそも、中心を貫く極まりの道、それを神道と呼ぶ」。神社の数でも、参拝の作法でもなく、「中心を貫く極まりの道」。これが延佳の答えです。

この階段を書いている塾主、松浦は、この一節をこう語っています。

かつて外宮の近く、度會氏の氏神さまの社で開いていた山田白魁塾で、出席された塾生の皆さんと必ず声を合わせて読んでいた一節です。あの場は、究極このことを分かち合いたくてあった、と今も思います。いまだに読み返すたびに「こういうことか」という発見があります。

この一句を今日のうちに自分のものにする手順を、五つに分けます。

一、まず音だけで三度読む

意味を取りにいく前に、括弧の中の読みだけを追って三度、声に出します。「そもそも、なかつきはみのみちを、かむながらのみちという」。意味が分からなくてかまいません。意味を解くより先に声に出して読む、この読み方を素読(そどく)と言います。音が先に身体に残ると、あとから意味の入る場所ができます。

つまずきやすいところ:小声だと三度目で飽きます。普段の話し声より少しだけ大きく。

二、「中極」を自分の日常語に置き換える

「中極(なかつきはみ)」は、中(なか)と極(きはみ)の二字です。中心と、極まり。合わせて「中心を貫く極まり」。ここで一度、辞書ではなく自分の暮らしの言葉に置き換えてみてください。「ぶれない芯」「いちばん奥の一点」「自分の真ん中」。どれでも構いません。延佳の言葉を崩すのではなく、自分の側から橋をかける作業です。

つまずきやすいところ:正解を探して手が止まります。仮置きでよいので、まず一つ決めてください。

三、「道」と言われていることに立ち止まる

神道の「道」は、道路の道であり、歩む道でもあります。延佳は「中極」という一点や状態ではなく、「中極の道」と言いました。つまり止まっている一点ではなく、その中心を貫いて歩いていく動きを神道と呼んでいます。神社という建物の中だけにあるものではなく、今日あなたが歩いている一日の中に、その道は通っています。

つまずきやすいところ:「道=修行」と重く受け取りがちです。歩くこと自体が道、と軽く持ってください。

四、一句を自分の文に言い直す

手順二で決めた日常語を使って、一句を言い直します。たとえば「そもそも、自分の真ん中を貫いて歩く道、それを神道という」。これがあなたの一句です。延佳の原文と並べて紙に書くと、二つの文のあいだに、自分の理解が見えてきます。

つまずきやすいところ:きれいな文にしようとして長くなります。一息で言える長さに。

五、神社で一度、声に出す

次に神社へ行ったとき、手を合わせる前に、原文の一句を小さく一度唱えてみてください。読みはもう身体に入っています。「なかつきはみのみち」。鳥居の内側が、自分の真ん中と同じ名で呼ばれる場所に変わります。神代(かみよ)──神々の世は、遠い過去の話ではなく、その一句を唱えているいまこの瞬間、あなたの立っている場所で続いています。

つまずきやすいところ:人目が気になって唱えられません。口の中で舌を動かすだけでも十分です。

暦とともに折々のことばが届く小さな便り。
日々の真ん中に、一本の芯が通っていきます。

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