
江戸前期、伊勢の外宮(げくう)に仕えた神職に、出口延佳(でぐちのぶよし)という人がいます。その著書『中臣祓瑞穂鈔(なかとみのはらえみずほしょう)』に、神道をひと言で言い切った一節があります。
抑(そもそも)、中極(なかつきはみ)の道を神道(かむながらのみち)と云ふ。
意訳すれば「そもそも、中心を貫く極まりの道、それを神道と呼ぶ」。神社の数でも、参拝の作法でもなく、「中心を貫く極まりの道」。これが延佳の答えです。
この階段を書いている塾主、松浦は、この一節をこう語っています。
かつて外宮の近く、度會氏の氏神さまの社で開いていた山田白魁塾で、出席された塾生の皆さんと必ず声を合わせて読んでいた一節です。あの場は、究極このことを分かち合いたくてあった、と今も思います。いまだに読み返すたびに「こういうことか」という発見があります。
この一句を今日のうちに自分のものにする手順を、五つに分けます。
一、まず音だけで三度読む
意味を取りにいく前に、括弧の中の読みだけを追って三度、声に出します。「そもそも、なかつきはみのみちを、かむながらのみちという」。意味が分からなくてかまいません。意味を解くより先に声に出して読む、この読み方を素読(そどく)と言います。音が先に身体に残ると、あとから意味の入る場所ができます。
つまずきやすいところ:小声だと三度目で飽きます。普段の話し声より少しだけ大きく。
二、「中極」を自分の日常語に置き換える
「中極(なかつきはみ)」は、中(なか)と極(きはみ)の二字です。中心と、極まり。合わせて「中心を貫く極まり」。ここで一度、辞書ではなく自分の暮らしの言葉に置き換えてみてください。「ぶれない芯」「いちばん奥の一点」「自分の真ん中」。どれでも構いません。延佳の言葉を崩すのではなく、自分の側から橋をかける作業です。
つまずきやすいところ:正解を探して手が止まります。仮置きでよいので、まず一つ決めてください。
三、「道」と言われていることに立ち止まる
神道の「道」は、道路の道であり、歩む道でもあります。延佳は「中極」という一点や状態ではなく、「中極の道」と言いました。つまり止まっている一点ではなく、その中心を貫いて歩いていく動きを神道と呼んでいます。神社という建物の中だけにあるものではなく、今日あなたが歩いている一日の中に、その道は通っています。
つまずきやすいところ:「道=修行」と重く受け取りがちです。歩くこと自体が道、と軽く持ってください。
四、一句を自分の文に言い直す
手順二で決めた日常語を使って、一句を言い直します。たとえば「そもそも、自分の真ん中を貫いて歩く道、それを神道という」。これがあなたの一句です。延佳の原文と並べて紙に書くと、二つの文のあいだに、自分の理解が見えてきます。
つまずきやすいところ:きれいな文にしようとして長くなります。一息で言える長さに。
五、神社で一度、声に出す
次に神社へ行ったとき、手を合わせる前に、原文の一句を小さく一度唱えてみてください。読みはもう身体に入っています。「なかつきはみのみち」。鳥居の内側が、自分の真ん中と同じ名で呼ばれる場所に変わります。神代(かみよ)──神々の世は、遠い過去の話ではなく、その一句を唱えているいまこの瞬間、あなたの立っている場所で続いています。
つまずきやすいところ:人目が気になって唱えられません。口の中で舌を動かすだけでも十分です。
一句を口に出せるようになると、心は次に「では、その“中心”は、どこにあるのか」へ向かいます。延佳のいう中心は、頭で覚える言葉であると同時に、自分の身体の真ん中にもあります。続きは次の記事「丹田呼吸 ── 肚で息をする、朝の一分でできる稽古」(準備中)です。狂言師・茂山千三郎先生が生み出した和儀の一呼吸をご案内します。中常塾は、一節と一所作を対にして、この階段を一段ずつ置いていきます。